すれ違う心や体のリズムを合わせる良い方法があるのだそうです。
それは、15分以上2人で散歩をすることなのだそうです。だから旅行に行って一緒に歩くのがよいのですねと、どこぞやのブログで見かけました。
それにしても、気を遣っているわけでもないのにリズムが揃ったり、感覚が似ていたりするというのは、演奏でも気持ちの良いものです。
音楽や、人と人との関係にもリズムの合う合わないというのがあるもので参考になりました。
それは、15分以上2人で散歩をすることなのだそうです。だから旅行に行って一緒に歩くのがよいのですねと、どこぞやのブログで見かけました。
それにしても、気を遣っているわけでもないのにリズムが揃ったり、感覚が似ていたりするというのは、演奏でも気持ちの良いものです。
音楽や、人と人との関係にもリズムの合う合わないというのがあるもので参考になりました。
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使用前、使用後のポットです。
珈琲用のポットを磨きました。
東京新宿自家焙煎珈琲凡の小雑誌によれば、『まず、金属磨きを船体に塗り乾いた布で磨きます。黒ずんだ部分が無くなったら別の布で拭き取りながら磨きこんで行きます。完全にくすみが無くなったら食器洗剤で二度丁寧に荒い熱湯で二度濯いで乾いた布で拭きあげます。手早く綺麗にポット一つが三分で磨ける程に成ったら一人前です。』とのことです。
銀器を磨く事は面倒ですが、磨きこむ事によって輝きをはなつ事柄は、人生、音楽においても同じことだなあと思うのでした。
サボると、ポット同様、真っ黒にくすみ、輝きを取り戻すのに大変な労力の負担になりますので、精進、精進。
珈琲用のポットを磨きました。
東京新宿自家焙煎珈琲凡の小雑誌によれば、『まず、金属磨きを船体に塗り乾いた布で磨きます。黒ずんだ部分が無くなったら別の布で拭き取りながら磨きこんで行きます。完全にくすみが無くなったら食器洗剤で二度丁寧に荒い熱湯で二度濯いで乾いた布で拭きあげます。手早く綺麗にポット一つが三分で磨ける程に成ったら一人前です。』とのことです。
銀器を磨く事は面倒ですが、磨きこむ事によって輝きをはなつ事柄は、人生、音楽においても同じことだなあと思うのでした。
サボると、ポット同様、真っ黒にくすみ、輝きを取り戻すのに大変な労力の負担になりますので、精進、精進。
人間の脳は、二つのことを同時に考えたり思うことは出来ないようです。
なので泣く感情が脳を満たしている時は、脳は精神的ストレスを感じることもありません。
なるほど。笑うことも同様、”カタルシス”です。泣いたり笑ったりすることで、脳の中のもやもややストレスを一旦完全に追い出してしまい、サッパリする訳です。
このことは私にはとても馴染みがあります。
私は良質の音楽に触れると、思わず涙が出ます。そうやってストレス等を処理してきたのだと思いますが、その仕組みが、脳は二つのことを考えられないだとは知りませんでした。しかしこれは色々なことに応用できそうです。
これからは意識的に、脳内の掃除というかリセットをしてみたいですね(笑)
なので泣く感情が脳を満たしている時は、脳は精神的ストレスを感じることもありません。
なるほど。笑うことも同様、”カタルシス”です。泣いたり笑ったりすることで、脳の中のもやもややストレスを一旦完全に追い出してしまい、サッパリする訳です。
このことは私にはとても馴染みがあります。
私は良質の音楽に触れると、思わず涙が出ます。そうやってストレス等を処理してきたのだと思いますが、その仕組みが、脳は二つのことを考えられないだとは知りませんでした。しかしこれは色々なことに応用できそうです。
これからは意識的に、脳内の掃除というかリセットをしてみたいですね(笑)
【クールン】という製菓材料をご存知でしょうか? 日清製粉のロングセラーのレアチーズケーキのことです。
http://www.nisshin.com/index.html ←デザートの場所に説明ありますよ。
我が家では、無くてははらない?珈琲のお供です。
さて、クールンを作るときは、贅沢に、2箱を使用するのが、上手に仕上げる秘訣だ。
更に、欲をいえば、使用するのは低温殺菌等の新鮮な牛乳がいい。
どんな味かと言えば、言葉に困るが、小学校の時に食べたという懐かしい味。
今まで食べた事のない人には感じることができない味だが、大人?の私には最高の珈琲の「トッピング」かもしれませんね。
超ロングセラーの秘密には、音楽も含め、必ず理由があるものです(笑)
ここ最近、新しいCDを聴くようになりました。 趣味同様、私は案外古風な人間です。
新規開拓もしませんし、音楽も古典が中心です。聴く音楽も殆ど拡げず、お気に入りの演奏ばかり聴く、ものによっては繰り返し聴く。そう云った感じです。
ところが、最近は新しい演奏家の演奏も聴くようになりました。評判を聞いたり、或いは全く知らない中で、CDを聴く。気に入りそうなCDを探す。そして初めて聴く演奏家については一枚だけ買う。
聴き始めて、気に入らない場合は速やかにストップ。そしてそのCDは二度と買わない。逆に気に入ると、続けざまに買って聴き続ける。そのような方、意外に多いのでは無いのでしょうか?
気に入ったCDに出会えた時は、新しい友人が出来たような気分になるものです。
CDは私にとって友人のような存在です。付き合い始めは慎重だが、意気投合すると長く付き合う。暫く会わない時期もあり、無性に会いたくなる時もあり、或る時は来る日も来る日もベッタリの時もある。最近も気になるCDに出会いました。そう云う時は、とっても得をした気持ちになります。
ひとつ面白いのは、お気に入りのCDの演奏家は、生存していない人がほとんど。どんな含意があるのか、不思議です。
新規開拓もしませんし、音楽も古典が中心です。聴く音楽も殆ど拡げず、お気に入りの演奏ばかり聴く、ものによっては繰り返し聴く。そう云った感じです。
ところが、最近は新しい演奏家の演奏も聴くようになりました。評判を聞いたり、或いは全く知らない中で、CDを聴く。気に入りそうなCDを探す。そして初めて聴く演奏家については一枚だけ買う。
聴き始めて、気に入らない場合は速やかにストップ。そしてそのCDは二度と買わない。逆に気に入ると、続けざまに買って聴き続ける。そのような方、意外に多いのでは無いのでしょうか?
気に入ったCDに出会えた時は、新しい友人が出来たような気分になるものです。
CDは私にとって友人のような存在です。付き合い始めは慎重だが、意気投合すると長く付き合う。暫く会わない時期もあり、無性に会いたくなる時もあり、或る時は来る日も来る日もベッタリの時もある。最近も気になるCDに出会いました。そう云う時は、とっても得をした気持ちになります。
ひとつ面白いのは、お気に入りのCDの演奏家は、生存していない人がほとんど。どんな含意があるのか、不思議です。